歯を並べる場所を作るために、歯の側面を少し削ります。矯正の計画でそう言われて、その場では受け入れたけれど、家に帰ってから引っかかっている。虫歯でもない歯を、なぜ削るのか。削って、あとで困らないのか。
この引っかかりには、二つの層があります。削って歯が悪くならないか、という安全の話。そして、削ったものは戻らない、という不可逆の話。この二つは別のことなので、分けて見ていきます。
IPRは、歯と歯の間の面をわずかに削る処置
IPRは、隣り合う歯の側面どうしが触れ合っているところを、ごく薄く整えて、歯を並べる場所をわずかに生み出す処置です。ディスキング、ストリッピングといった呼び方をされることもあります。
削るのは、歯のいちばん外側にあるエナメル質という硬い層の、その一部です。歯の表側を大きく削ったり、歯全体を小さくしたりするのとは違います。触れ合っている面を、ごく薄く整える処置だと考えると近いです。
歯を並べる場所を作る方法には、ほかに歯列の幅を広げる、奥歯を後ろへ送る、抜歯するといった手立てがあります。そのなかでIPRが候補に挙がるのは、必要な場所が小さいときに、歯を抜かずに少しずつ調整できるためです。どの手立てをどれだけ使うか、IPRでどこまで賄えるかは、必要な場所の量しだいで変わります。
なぜ削ってまで場所を作るのか、どれだけ作れるのかは、また別の話になります。そこは、スペースを作る手立てを並べた口ゴボは矯正で治る?対応できる範囲と、抜歯が要るかの決まり方が扱う範囲です。この記事で見るのは、その処置そのものが歯にとって安全なのか、というところに絞ります。
虫歯やしみる感覚は、研究では増えていない
健康な歯を削ると聞いたとき、自然に浮かぶ心配があります。削ったところが虫歯になりやすくならないか。しみるようにならないか。歯が薄くなって弱くならないか。
この点について、複数の研究をまとめて調べた報告があります。矯正でのIPRの影響を検討した系統的レビュー(Gómez-Aguirre ら、Orthodontics and Craniofacial Research、2022年)では、IPRのあとに、エナメル質が溶け出す変化(脱灰)も、虫歯の増加も、歯ぐきや歯を支える組織の変化も、しみる感覚(知覚過敏)も、認められなかったと報告されています。
ここで大切なのは、これが一つの医院の見解ではなく、いくつもの研究を集めて共通して見えたこと、という点です。削って大丈夫と言われても、言っているのが治療する側だと、鵜呑みにしていいのか迷います。系統的レビューは、その医院の言葉から一段引いたところにある材料です。
しみにくい背景としては、削る場所がよく説明されます。歯は、外側の硬いエナメル質と、その内側にある象牙質という層でできています。冷たいものがしみる感覚に関わるのは内側の象牙質のほうで、外側のエナメル質そのものには、そうした感覚はありません。IPRで削るのは、その外側のエナメル質の一部にとどまり、内側の象牙質までは届きません。感覚に関わる内側の層に触れる処置ではないため、しみる感覚につながりにくい、と一般には説明されます。
虫歯についても、削ったからといってそのまま虫歯になりやすくなる、と単純に考えるのは早計です。虫歯は、汚れがたまって酸ができ、歯が溶かされて進みます。削る量がエナメル質の範囲にとどまり、削った面を滑らかに整える処置が伴えば、その面だけが汚れをためやすくなるとは考えにくい、という見方があります。ただし、研究が示したのは「虫歯が増えなかった」という事実であって、「虫歯を防ぐ効果がある」ということではありません。削り方や口の中の状態しだいで変わりうる部分もあります。そこは踏み込みすぎないでおきます。
安心が効く範囲には、縁がある
とはいえ、これで「IPRは完全に安全」と言い切れるわけではありません。上の結果が当てはまるのには、押さえておきたい条件があります。
一つは、この安心がエナメル質の範囲内で、適した歯に行った場合の話だということです。削る量がエナメル質を越えて内側の層にまで及べば、しみる感覚につながることがあります。もともと歯と歯の接する面に溝や形の問題がある歯では、同じようにはいきません。虫歯やしみる感覚が増えなかったというのは、量と対象がその範囲に収まっていたときの結果です。だから、どれだけ削るか、どの歯に行うかの見極めが要ります。ここは検査を経て判断される部分です。
もう一つは、長期のデータがまだ薄いことです。さきほどの系統的レビュー自身が、より長い期間を追った質の高い研究がまだ足りない、と述べています。集まっている研究の多くは、処置の直後や数年のうちの観察です。何十年という単位で見たときにどうかは、確かなことがまだ言い切れていません。いまのところ調べられた範囲では有害な変化が見つかっていない――言えるのはそこまでで、その先はまだ空白のまま残されています。
この二つは、「だから危険だ」という話ではありません。分かっていることには縁があって、その縁の内側では安心の材料があり、外側はまだ確かめられていない、という地図の話です。
「元に戻らない」ことは、変わらない
削るのがエナメル質の外側の一部にとどまることは、歯全体が薄くなって強度が落ちる、という類の処置ではないことも意味します。歯の芯を削るわけではありません。とはいえ、安全かどうかとは別に、変わらない事実があります。削ったエナメル質は、再生しません。
虫歯や知覚過敏が増えないことと、削った分が戻らないことは、別の話です。前者が確かめられていても、後者は変わりません。だからIPRを受けるかどうかは、「体に害があるか」だけでなく、「戻せない処置を受けるだけの理由が、自分の歯並びにあるか」という問いも含みます。害がないことと、必要であることは、同じではありません。
とはいえ、削らないほうが常に良い、という単純な話でもありません。IPRを避ければ、必要な場所を別の方法で作ることになります。歯を抜く、あるいは歯列を広げて奥歯まで動かす、といった選択が、その代わりに入ってきます。抜歯もまた戻せない処置ですし、動かす範囲が広がれば期間や負担も変わります。IPRの不可逆性だけを見て避けると、別の不可逆や負担と引き換えになることがある、ということです。どちらを取るかは、必要な場所の量と、それぞれの負担を並べて決める話になります。
見た目について心配する声もあります。削ったところがすきっ歯のように見えないか、という点です。削るのは接している面のごく薄い部分で、削ったあとはその面へ歯を動かして詰めていきます。向きとしてはむしろ、詰まった状態に近づける処置です。仕上がりで歯と歯のあいだが空いて見える、という性質のものではありません。
※本記事で触れる歯列矯正は自由診療(マウスピース型矯正装置による歯列矯正)であり、公的医療保険の対象外です。参考として当院の費用と治療期間の目安は Lite 150,000円(税込)・約2ヶ月(上下前歯12本・マウスピース各7枚以内が対象)/ Basic 330,000円(税込)・約3ヶ月(上下前歯12本が対象)/ Pro 660,000円(税込)・約6ヶ月(上下24本が対象)/ 全歯を対象とするプラン 880,000円(税込)です。全歯を対象とするプランの治療期間は、動かす範囲が広いため個々の状態により異なります。期間はいずれも歯を動かす矯正期間の目安であり、後戻りを防ぐ保定期間は含みません。通院回数は最低1回で、治療内容・個人の状態により異なります。安心保証制度とワイヤー補償が付帯するのは Basic・Pro のみです。歯の移動に伴い、歯の痛み・歯根吸収・歯ぐきの退縮・後戻りなどのリスクが生じる場合があります。歯の側面を削る処置を行った場合、削った部分は元に戻らず、一時的にしみることがあります。重度の歯周病・顎関節症・未治療のむし歯などがある場合や、歯の状態によっては、治療をお受けいただけない、または先に別の治療が必要になる場合があります。IPRの要否や量は、検査を経た診断によります。
IPRの矯正に関するよくある質問
Q. IPRは断れますか?削らない方法はありませんか?
場所を作る手立ては、IPRだけではありません。歯列の幅を少し広げる、奥歯を後ろへ送る、抜歯するといった方法もあり、どれをどれだけ使うかは検査で決まります。IPRを避けたい希望があれば、それを含めて計画を相談できます。ただし、必要な場所の量によっては、IPRを使わないと別の負担が大きくなることもあります。避けられるかどうかは、必要な量とのつり合いで決まります。
Q. 削ったあと、歯みがきで特別に気をつけることはありますか?
削った面も、それ以外の歯と同じように、日々の清掃で保ちます。特別な手入れが要るというより、歯と歯のあいだをふだんどおり清潔に保つことが基本になります。清掃の方法で不安があれば、治療の中で確かめられます。
Q. 一度の治療で、何回も削るのですか?
必要な場所の量と、動かす計画によって変わります。一か所を少しずつ、治療の進み方に合わせて複数回に分けて行うこともあります。まとめて大きく削るというより、計画に沿って少しずつ進めるのが一般的です。どの時点でどれだけ行うかは、計画のなかに置かれています。
Q. 削ったところが、着色しやすくなりませんか?
削った面は滑らかに整える処置が伴うため、その面だけが特に着色しやすくなるとは限りません。着色のしやすさは、削ったかどうかより、飲食の習慣や日々の清掃の影響が大きい部分です。気になる場合は、治療の中で相談できます。
まとめ
IPRは、隣り合う歯の触れ合う面を、外側のエナメル質の範囲でごく薄く整える処置です。健康な歯を削ることへの不安に対して、複数の研究をまとめた系統的レビューでは、IPRのあとに虫歯や知覚過敏、歯周組織の変化が増えたとは認められていません。削るのが、しみる感覚に関わる内側の層まで届かないためです。
ただし、これはエナメル質の範囲内で適した歯に行った場合の話で、長期のデータもまだ薄い、という留保がつきます。そして、削ったエナメル質が戻らないことは、安全かどうかとは別に変わりません。
だから受け止め方としては、過度に怖がる必要はない一方で、戻せない処置である以上、なぜ自分にそれが要るのかまで確かめておくと、納得して進めます。