全体矯正の金額を見たあとに部分矯正の金額を見ると、急に現実味が出てきます。前歯だけなら数十万円で、期間も短い。気になっているのは前歯の出方だけなのだから、これで足りるのではないか。
その見込みが立つかどうかは、実は自分の症状の重さだけでは決まりません。部分矯正が歯を並べる場所を作る方法は限られていて、出っ歯ではそのうちのひとつが使えないからです。
同じ部分矯正でも、症状によって手の数が違う。ここが分かると、対応できる範囲の線がどのあたりに引かれているのかが見えてきます。
部分矯正が場所を作る方法は決まっている
前歯を後ろへ動かすには、下がった先に空きが要ります。歯が隙間なく並んでいる状態では、押しても行き場がありません。この空きをどう用意するかが、部分矯正では最初から絞られています。
動かす対象が前歯まわりに限られ、奥歯は原則そのままだからです。すると空きの作り方も連動して狭まります。歯を抜いてまとまった空きを用意する方法や、奥歯を後方へ送って奥から余地を確保する方法は、通常この治療では選ばれません。抜歯や奥歯の移動がどういう処置で、何を基準に要否が決まるのかは必要なスペース量から抜歯の要否が決まる仕組みにあります。
手元に残るのは、歯と歯の接触面をごくわずかに削って幅を詰めること。前歯を少しだけ前へ傾け、並びの距離を伸ばすこと。そして歯列そのものを横へ少し広げること。おおむねこの範囲です。これらがどういう処置で、なぜ作れる量に限りがあるのかは作れる量に限りがある理由で先に整理しています。
出っ歯では、そのうち1つが使えない
前歯を少しだけ前へ傾けて距離を稼ぐ方法は、その名のとおり前歯を前へ出すことで空きを作ります。歯並びを弧として見ると分かりやすいかもしれません。弧の手前側を膨らませれば、弧そのものが長くなる。長くなった分だけ、歯を並べる余裕が生まれます。狭いところに歯を収めたい場面では有効な手です。
ところが出っ歯の治療でやりたいのは、前歯を後ろへ下げることです。前へ出して空きを作り、その空きを使って後ろへ下げる。並べて書くと、成り立たないことが分かります。
実際、矯正で空きを作る手段を整理した枠組みでも、すでに前へ傾いている前歯をさらに傾ける方法は適応外として扱われています。前歯が前に出ていること自体が問題になっている場面で、前へ出す処置を治療に組み込むことはできません。
つまり前歯が前へ傾いている出っ歯では、部分矯正が持っている手札のうち1枚が、最初から場に出せません。
ここには条件がつきます。使えなくなるのは、前歯そのものが前へ傾いている場合です。前歯の傾きは標準的で、あごの位置関係のほうが口元の出方に効いているという出っ歯もあります。以降は、前歯の傾き自体が前に出ている場合の話として読んでください。
ほかの症状でも事情が違います。歯が重なって並んでいる状態であれば、前歯を少しだけ前へ傾けて距離を伸ばし、そこへ収めるという運びが取れる場合があります。ただし前へ出せる量そのものが、もとの傾きや歯ぐきの状態から診断される部分です。すきっ歯にいたっては、空きを作る話が要りません。閉じる方向へ動かすので、最初から余裕がある側です。
同じ部分矯正という名前でも、症状によって使える手の数が違っています。出っ歯は、その数がいちばん少なくなる側に入ります。
境界は、ほかの症状より手前で切れる
では残りの手でどこまで用意できるのか。
歯の接触面を削る方法は、エナメル質の厚みの内側でしか行えません。削れる量には上限があり、しかも削った部分は戻りません。歯列の幅を広げる方法にも、動かせる範囲に限りがあります。骨からはみ出すところまで動かすと、歯ぐきが下がるなど元に戻らない変化が起きるためです。
どちらも「わずかに」の範囲にとどまります。しかもこの上限は、症状が重いからといって上がることはありません。解剖の側で決まっていて、その上限自体が人によって違います。
必要な量と、作れる量
ここで突き合わせるものが出そろいます。自分の出っ歯を治すのに要る後退量と、部分矯正の残った手で用意できる量。この2つです。
前歯が少し前に傾いている程度なら、必要な量は小さくて済みます。前歯全体が大きく前へ出ている場合は、必要な量が跳ね上がります。一方で作れる量は、必要量が増えても連動しません。二つは別々に決まります。
「軽度なら部分矯正で治せます」という説明は、この突き合わせの結果をひと言に圧縮したものです。必要な後退量が作れる量の範囲に収まる、そのとき部分矯正の話になります。収まらなければ、奥から余地を作るか、抜いて作るかという話になり、それはもう部分矯正の外側です。
出っ歯で線が手前に来る理由
出っ歯では、この線がほかの症状より手前に来ます。前へ傾ける手が使えないぶん、作れる量の側が最初から目減りしているためです。すきっ歯のように、そもそも空きを作る必要がない症状とは条件が違います。症状ごとに前歯だけで成立する条件がどう違うかは、前歯だけを動かす治療が向くケースに並べてあります。
そのうえで、この突き合わせが具体的な数量になるのは検査を受けてからです。必要な量は、前歯がどう出ているのか、上下のあごがどういう位置関係にあるのかで変わります。鏡の前で決められる種類のものではありません。相談が「診てみないと分かりません」から始まるのは、この量が確定していないからでもあります。
だから「部分矯正では対応しきれません」と伝えられたとき、それが必ずしも症状の重さを指しているとは限りません。部分矯正の側が、出っ歯に対しては一つ少ない手で臨んでいるという事情も混ざっています。
この違いは、受け取り方に効いてきます。症状が重いと言われたのだと解釈すると、治療そのものが遠のいた気持ちになります。実際に言われているのは、選んだ方法の射程がそこまでだということです。前者なら諦める話になりますが、後者なら方法を変えるという次の手が残ります。
「思ったより引っ込まなかった」が起きる場所
部分矯正で出っ歯を扱ったあとに、こういう受け止めが起こり得ます。治療自体は計画どおりに終わったのに、期待していたほど口元が変わらなかった、というものです。
境界の内側ぎりぎりで起きる
これは失敗というより、線の手前ぎりぎりで起きることです。作れる量の上限まで使い切る計画なら、その上限がそのまま到達点になります。計画としては成立していて、処置も予定どおり。それでも本人が思い描いていた変化とは釣り合わない。
言い換えると、上限まで使う計画は、境界の内側にはあっても、境界そのものに接しています。到達点がそこで止まるのは計画の不備ではなく、手が一つ少ないことの帰結です。
対応できる範囲の話と、どれだけ変わるかの話は、別々に決まります。範囲に収まっていることは、変化量が期待どおりになることを保証しません。出っ歯では作れる量がもともと細っているぶん、この2つがずれる幅も大きくなります。
収まらないと分かった場合
範囲に収まらないと判明しても、そこで打ち止めではありません。奥歯を動かす余地が入れば、前歯を下げるための手はそこで増えます。
その手が具体的に何なのかは、マウスピース矯正で出っ歯を扱うときに何が組まれるかのほうで扱っています。ただし費用も期間も変わるため、同じ土俵での比較にはなりません。
※本記事で触れる歯列矯正は自由診療(マウスピース型矯正装置による歯列矯正)であり、公的医療保険の対象外です。参考として当院の費用と治療期間の目安は Lite 150,000円(税込)・約2ヶ月(上下前歯12本・マウスピース各7枚以内が対象)/ Basic 330,000円(税込)・約3ヶ月(上下前歯12本が対象)/ Pro 660,000円(税込)・約6ヶ月(上下24本が対象)/ 全歯を対象とするプラン 880,000円(税込)です。全歯を対象とするプランの治療期間は、動かす範囲が広いため個々の状態により異なります。期間はいずれも歯を動かす矯正期間の目安であり、後戻りを防ぐ保定期間は含みません。通院回数は最低1回で、治療内容・個人の状態により異なります。安心保証制度とワイヤー補償が付帯するのは Basic・Pro のみです。歯の移動に伴い、歯の痛み・歯根吸収・歯ぐきの退縮・後戻りなどのリスクが生じる場合があります。歯の側面を削る処置を行った場合、削った部分は元に戻らず、一時的にしみることがあります。重度の歯周病や顎関節症などがある方は治療をお受けいただけない場合があります。
部分矯正と出っ歯に関するよくある質問
Q. 削った分だけ前歯が引っ込むということですか?
削った量がそのまま後退量になるわけではありません。削るのは歯と歯が接している面で、そこに生まれたわずかな余裕へ歯を寄せていく形になります。前歯が下がる量は、寄せた結果として出てきます。削った数値と口元の変化量は別のものと考えてください。
Q. 上の前歯だけ動かせば済みますか?
出っ歯は上の前歯が前に出た状態なので、上だけで完結しそうに見えます。ただ、上の前歯がどこまで下がれるかは、下の前歯の位置にも左右されます。下げていけばいずれ下の前歯に当たるためです。下の前歯も前へ傾いている場合、上だけを動かして到達できる位置は、その手前で止まります。上下をどう扱う計画なのかで、届く位置が変わってきます。
Q. 少しでも改善するなら、それで十分ではないですか?
そう判断して問題ない場合もあります。ただ、どのくらい変わるのかを知らないまま決めると、終わってから期待とのずれに気づくことになります。少しで足りるのか、それとも思っていたより小さいと感じるのか。この線引きは本人にしか決められません。作れる量に上限がある以上、変化の幅も上限までという前提で考えることになります。
Q. 抜歯すれば、部分矯正でも大きく下げられますか?
抜歯で空くのはまとまった幅なので、話は逆に大きくなります。その空きを閉じていく過程では、動かしたくない歯が引っ張られないように奥歯側を管理する必要が出てきます。奥歯に手をつけないという部分矯正の前提と噛み合わないため、抜歯を含む計画は部分矯正の枠を出た治療として組まれます。
Q. 奥歯の噛み合わせは気にしなくていいですか?
前歯だけを動かした結果として、上下の当たり方が変わることはあります。前歯の見た目が目的であっても、噛み合わせへの影響があるかどうかは診断の対象です。気にしなくていいかを自分で判断するのではなく、影響の有無を診てもらう対象だと考えてください。
まとめ
部分矯正で出っ歯を扱えるかどうかは、前歯が下がる先の空きをどれだけ用意できるかで決まります。そして部分矯正が空きを作る方法は、最初から限られています。
そのうち前歯を前へ傾けて稼ぐ方法は、前歯がすでに前へ傾いている出っ歯では使えません。前へ出す手で作った空きを使って後ろへ下げる、という形が成り立たないためです。残るのは削る方法と幅を広げる方法で、用意できる量はどちらも小さくなります。
線の外側だったとしても、失われるのは部分矯正という選択肢ひとつです。手前で切れていたのは範囲であって、治療そのものではありません。
境界がどこにあるかを先に知っておくと、相談で出てくる話が自分の程度への評価ではなく、どの方法を選んだかの話として聞こえてきます。